水木しげる伝ボクの一生はゲゲゲの楽園だ(4)

水木二等兵は、ラバウルからズンケンへ。
そこはパパイヤがたくさんあって天国みたいなところらしい。
しかし、そこは天国ではなく「天国に行ける場所」だった。
敵の弾だけでなく、マラリアとか空腹とかワニとか超重労働とか色々と「天国へのいざない」にみちみちていた。
バイエンでは、あっという間に部隊が全滅、一人生き残った水木二等兵の生か死かのドラマの幕が切って落とされた!バイエンから一人生き残り命からがら軍に戻った水木二等兵だったが、誉められるとばかり思っていたら敗残兵扱いをされてしまう。
おまけにマラリアを発病、無理な行動がたたって症状が重くなり、足腰が動かなくなってしまった時、空襲で左手に弾を受けてしまう。
一生で一番かんじんなときに自分の血液型を忘れてしまった水木二等兵は輸血ができず、左手を切断する事になってしまう…。
左手を失い、マラリアに皮膚病も併発した水木二等兵だったが、現地の「森の人」とすっかり仲良くなり、体力が少しづつ回復、ついに終戦を迎え内地へ戻った。
空には爆音もない、明日だって明後日だって生きられると思うとムチャクチャにうれしかった。
さて、仕事をしようにも仕事がない。
たどり着いた神戸の水木通りのあやしげな旅館で、紙芝居を描きはじめ「水木しげる」が誕生した。
水木先生は「墓場の鬼太郎」や「河童の三平」を描くが、紙芝居業界全体がジリ貧だった。
このままだと餓死は時間の問題だった。
筆五本と染料を持って東京行の汽車に乗り、貸本漫画家へ転向しても、食うや食わずの生活が続く。
しかし、ある時「金霊」が空を飛んでいるのを見た! それからというもの千客万来、「鬼太郎」が大ヒットし、寝る時間も無く、多忙も苦しいものだとかみしめる。
「森の人」たちと20年ぶりに再会、水木先生は一ヶ月も滞在していた。
南方へ思いはつのるばかり、家族全員でニューギニアに移住しようと考えるほどであった。
その後も水木先生の冒険旅行はまだまだ続き、世界中の精霊や妖怪を見て回り、何百点と絵にしてきた。
そして、あの世に関する興味も果てしない。
調査をして、僧侶や学者に話を聞いても、これはわからない、ということらしい。
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